震災の爪あと
2015/06/08
それは一昨日の夜のこと。
「仙台に牛タン食べに行こうぜ!」
今年初のオットの思いつき発言が出ました。
仙台に牛タン食べに行きたいなぁ、っていうのは、だいぶ前から言っていたんですよね。
それに以前から、仙台の親戚が「遊びにおいで」って言ってくれていたし、その親戚の地元に関東大震災の爪あとがまだ残っていると聞いていたのもあって、いつかは行かなきゃと思っていました。
でも、まさかそれが年末年始になろうとは。
まぁ、二言返事でOKしたんですけど。
だって牛タンおいしそう!!!
そんなわけで、昨日7:30埼玉出発。
仙台までは車で東北自動車道を北上すること約4時間。
昨日のうちにTUTAYAでCDやDVDを借りておいたり、SAでずんだもちを食べたり、のんびりした旅路です。
以前、ゴールデンウィークに片道12時間かけて埼玉から大阪に行ったことを考えれば、さした距離じゃないかな。
栃木県、福島県を抜けて、宮城県仙台市に近付くにつれて、路肩に雪が見られるように。
親戚の家に着くと、家の前には鳥の足跡が。かわいすぎる!
披露宴ぶりに会う親戚との団欒もそこそこに、牛タンのお店「利久」へ。
利久 一番町やなぎ町店
http://tabelog.com/miyagi/A0401/A040101/4010823/
スタンダードに牛タン定食を注文しました。
朝から何も食べていなかったので、空っぽのおなかに牛肉の味が染み渡ります。
牛タン一枚一枚が分厚くて、めちゃくちゃおいしー☆
添えられている甘辛い味噌がよく合います。
大量のお漬物に、最初は戸惑いましたが、これが実は重要なのかも。このお漬物で口の中をさっぱりさせながら食べられるから、一口一口、最後まで、とってもおいしく食べることができるんですね。
一つ目の目標「仙台で牛タンを食べる」を達成した私たちは、二つ目の目標「震災の爪あとを見る」を達成するため、親戚の案内で、仙台市の南隣の名取市へ。
約4年前――2011年3月11日。
震災当時、私はオットと知り合ってもいませんでしたが、オットと出会ってからは「一度は自分の目で見ておきたいね」と話していました。
私たちは戦争を知らない。
阪神淡路大震災の時には大阪にいましたが、当時はまだ幼く、大きな被害がなかったこともあって、何があったのかさえよくわかっていませんでした。
関東大震災の時には浦安市にいましたが、浦安市が被災地として認定されているといっても、当時住んでいた旧市街はほぼ被害がなく。時間がないから、長靴持ってないから、一人で行くのは不安だから、と言い訳を並べて、新市街でのボランティアにも参加しませんでした。
でも、戦争体験や被災体験など、今後、自分の住む国や街について考えるときに、価値観や行動指針に影響しそうなことをまったく知らないというのも怖い気がしていたんです。
親戚に先導され、名取市閖上(ゆりあげ)を中心に車を走らせました。
あたりは一面、更地になっていました。
元々どんな街だったのかわからないくらい、何も残っていませんでしたが、よく見ると、茂みの中のあちこちに、家と家を区切る壁の残骸が。たくさんの家が立ち並んでいたのでしょう。
所々に残っている家は、窓に板を打ちつけてありました。誰かが住んでいる、というわけでもなさそうなので、盗難防止のためでしょうか。
広々とした田んぼも残っていましたが、津波による塩害のせいで、作物がうまく育たないそうです。
そしてそんな中に、ポツリと神社が。
立派な鳥居。
閖上湊神社だそうです。
車を降りて上ってみました。
近くに港が見えます。
元々は活気に満ちた漁港だったそうです。
小高い神社から臨む住居跡地には、石で円が描かれていたり、模様が描かれていたり。どんな意味があるのか、想いがこめられているのかと想像すると、胸が締め付けられます。
早く復興できればいいのに、と思いますが、いろいろと利権が絡んでいて、なかなか具体的なことに着手できないでいるのだそうです。
閖上周辺を見たら、特に仙台市に戻って観光をすることもなく帰ろうと思っていたのですが、更地を眺めた後のオットと私は、すぐさま北上しました。
目的は、さらに二時間、車を走らせたところ。
南三陸町です。
震災から4年たってから来たって、元の街の姿を知っているわけでもない私たちは、更地から震災当時を想像するしかないのです。
だけど何もない場所を眺めて、被災前の様子を想像したり、被災当時の様子を想像したりするのってすごく難しい。
――来るのが遅かった。
閖上の光景を目にして、二人して後悔していました。
北上するにつれ雪も深くなり、スタッドレスタイヤをはいていたにもかかわらずスリップしそうになってヒヤッとしましたが…それ以上に、道路標識に「気仙沼」って地名が出たときにドキッとしました。
震災当時、何度もテレビで見たり聞いたりした地名です。
お住まいの方には本当に失礼ですが、どうしても、頭の中で壮絶な映像と結びついて思い出されます。
目指したのは、被災当時の姿を留めているという、防災対策庁舎でした。
※当時の様子を伝えるHP
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_bosai-tyosya.html
あんまり寒かったので、手を合わせた後は、車の中からしばらく見上げていました。
この庁舎は、宮城県が、震災から20年になる2031年3月10日まで県有化する方向で検討しているそうです。地元の方からは、即時解体を望む声もあるそうですが、私は今回この建物を見られて本当によかったと思います。
近くには、閖上同様、更地にした後に、何かの土台が作られていましたが…
街の復興は、私も何より願うことですが、本当になにもかもなかったようにキレイになると、震災は被災した方だけの思い出になってしまいそうな気がしてならないのです。
見るたびに辛い記憶が呼び起こされる方もいらっしゃるでしょう。
私は当事者じゃないからこんなことを言えるのかもしれません。
無責任な発言だとは思うけど、責任の所在や、発言する資格を問うていては、何も進められないような気がするので、あえて記しておきます。
その後、漁港周りや、街の中を見て回りました。
びっくりするほど人がいませんでした。
被災していないと思われる、高台の家で、帰省中と見られるご家族を一組見かけただけでした。17:00をすぎるとすっかり暗くなってしまったので、地元の方は屋内ですごされていたのかもしれませんが…。
来る時期も、来る時間も、遅すぎたのかもしれません。
帰り道は真っ暗。
二人でのんびり帰りました。
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